叩くと増えるタイプの鳥肉

人生に無駄なことなんてないとは言ったけど、限度がある

トーキョーシティに夢見るボーイは表参道に二フラムされる

僕は生まれてこのかた辺境の地方都市で生まれ育った、そう修羅の国こと福岡県。

それなりに都会でそれなりに不自由はない。

流行りの服もそれなりに手に入るし、流行りのグルメも三周くらい待ってたら入ってくる、銃弾もそれなりに飛び交っている、そんな街。

 

ただそんな福岡には圧倒的に足りないものがあった、本物のオシャレイズムだ。

テレビから溢れ出すオシャレイズムだけは福岡では到底得られないものなのだと。

 

高校生だった当時の僕はなけなしの小遣いを叩いてはかた号に飛び乗った、片道14時間の大冒険。

体力と精神を生贄に、やっとの思いで辿り着いた東京駅、通勤ラッシュの威圧感に負けボストンバッグ片手に立ち尽くした山手線。

全てが新鮮だった。

 

究極のオシャレイズムとはなんぞや、道中のバスで何度となく反芻した命題。

 

究極のオシャレイズムとは…そう、表参道で優雅に珈琲を飲むことだ。

当時の僕は、そう結論付けた。

まさに完璧な証明式、そこには寸分の狂いもない。QED

 

そうだ、僕は表参道で珈琲を飲むのだ。

意を決してボストンバッグを人の壁にめり込ませて山手線に乗り込む。

周囲の冷たい視線が突き刺さる…それでも僕は負けない。

 

僕は!!表参道で!!珈琲を!!飲むのだ!!!!

 

苦労の末、僕はなんとか表参道のカフェへと辿り着いた。

小洒落たベルを鳴らして入店すると、逸る気持ちを押し留めて空席に座し、スッと店員にハンドサインを送る。

 

オシャレイズムを体現する上で、こういうときに変に凝ったメニューを頼むのはNG行為。

メニュー表を前に目線を行ったり来たりさせるなど愚の骨頂だ。

 

そう、この場面でオーダーすべきはただ一つ。

口にすべきはたった5文字だ。

 

ブレンドで」

 

完璧だ。

あぁ…僕は今、オシャレイズムの中心にいる。

言い表わし様なない幸福感に包まれ、自然と頰が緩む。

 

勝った。

何と戦っているかも謎だが、その時僕は確かにそう思っていた。

…ガラスに映る自分の姿を見るまでは。

 

ダボついたパーカー、膝に穴の開いたジーンズ、パンパンに膨れ上がったボストンバッグ、くたびれたスニーカー。

そこにはオシャレイズムの対極に位置する男が得意げに鎮座していた。

 

浮いている、これは完全に浮いている…オシャレイズムのカケラも感じられない。

まさしく田舎者感丸出し案件。

どれくらい丸出しかと言うと、バチェラージャパンに出演してる女性の欲望くらい丸出しだ。

 

うわああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!

 

狼狽する男の前に珈琲と小皿に乗ったチョコレートが置かれる。

待て待て待て、なに勝手にお茶請け追加してるんだよ! お通しかよ!!

田舎者の貧乏学生から小銭巻き上げる気かチクショウ!!

 

「あ、あの…このチョコはタダですか?」

 

店員が苦笑いしながら肯定する。

恥ずかしい質問をした、顔から火が出るどころか火だるまだ。

 

(嗚呼…終わった、何もかも終わった)

 

チョコレートを珈琲で流し込み、席を立つ。

味を楽しむ余裕なんて一切なかった。

早くこの場を立ち去りたい、その一心だった。

オシャレイズムは僕にはまだ早かったのだ。

 

その後、

フラフラと迷い込んだ原宿で黒人集団に洋服屋に連れ込まれた挙句、所持金がないと告げると罵倒されたり、

替玉システムのないラーメン屋で替玉頼んで白い目で見られたり、

コミケでウスイホンを買い漁ったりして僕の初めての東京観光は幕を閉じた。

 

PS: 初めて買ったイリヤスフィール=フォン=アインツベルンちゃんのエロ同人誌はとてもとてもシコかったです。

 

 

珈琲の利尿作用だけはよく仕事する

珈琲にはカフェインという成分が含まれており、興奮作用や覚醒作用を引き起こす。

そのため、世の中には眠気覚ましに飲用する人もいるようだ。

 

そんなこたぁ知ってるよ、ナスビと怒られそうだが少し待って欲しい。

 

私事で大変恐縮だが、幼いときから珈琲を飲んでいたせいか、僕は人生の中で一度として珈琲で眠気が覚めたと感じたことがない。

なんなら寝る前でもアイスコーヒーをガブ飲みしている。

 

ずるくない?

 

僕だって作業の合間に「ふぅ…珈琲飲んだら少し目が覚めた♡」って艶っぽい台詞吐いてみたい。

 

「ねぇお兄ちゃん、あんまり頑張りすぎちゃダメだよ? はい、どうぞ♡」と、手渡される珈琲で覚醒作用と興奮作用を同時に催して違う作業に移行したい。

 

ずるい。

珈琲で眠気が取れる人はずるいぞ。

 

とはいえ、珈琲おめめぱっちり族を僻んだところでこれは体質の問題である。

今更望んだところでおめぱち族になることはもはや不可能だ。

 

だから珈琲で眠気が取れない人には別途配慮があってもいいのではなかろうか?

具体的にはオフィスワーク中に珈琲の代替物を利用することに対して寛容な社会になると良い。

 

眠気が取れて興奮作用があるもの。

 

そんな都合のいいものなんて…いや、あるぞ!

 

そう、エロ本だ!

 

珈琲が人体に及ぼす影響には利尿作用というのもあるが、エロ本を使うと色々出るし似たようなものだろう。

 

「ちきんまんさんお疲れ様です。 どうぞ、エロ本です♡」

「お、気が利くね! ありがとうっ♡」

 

うんうん、これはなかなか革新的なアイデアなんじゃなかろうか?

 

なおタバコ休憩の時間が少し長くなるのはご愛嬌ということでお願いします。

あんまり早いのもカッコつかないので。

ブログ開設

ブログや日記の始まり書きというのは存外に難しい。

挨拶やブログの趣旨を開示するだけだとなんとも味気ないし、それらしい挨拶も書かずに始めるのはまるで黒歴史を消し去った跡地のような芳しさが立ちこめる。

 

「全然面白いことは書けないけど、ちょっとずつ記事投稿します」的な、よくある予防線を張りまくった書き出しも自己顕示欲が見え隠れして恥ずかしい。

 

ただし、これはあくまで自分がブログ書く場合においての話であり、他人のブログを遡った際にこういった文面に出会うと僕はニコりとしてしまう。

特にバリバリ投稿しているブロガーの記事を遡る中でこういった投稿を見つけるのは、なんとも言えない昂揚感がある。

率直に言うと大好物だ。

 

似たような事例として、

オタサーの姫状態の女性垢とその取り巻きのやりとりを観察するのは大変興味深い。

理性と願望と性欲のトライアングルの中で心が揺れ動く様がとてもキュートだ。

姫の掌の上でセクハラ一歩手前のリプライを送っている様や、それをめざとく見つけてナイトにジョブチェンジする様には興奮すら覚える。とても素敵だ。

 

これらの事象の共通点は、余裕がないことではないかと思う。

恐らく、余裕がないときこそ人間の心理は表層的になる、だから観察しやすいということなのだろう。

いくら趣味が人間観察だからといっても、凪のように穏やかな心持ちの人間を観察しても面白くない。状態変化にこそ観察の妙があるのだ。

 

だから、決して下世話な話が好きとか性格が根暗とかそういうことではない。

そんなことよりおっぱいパブに行きたい。

 

話を戻そう。

 

えっと、なんだったっけ…ブログについてだっけ?

いいよいいよ、そんなこたぁ

とりあえず、踊ろうぜ!!

そんなノリで書くので、そんなノリで読んでもらえたら幸いです。